動画三昧と悟り
年が明けて小寒・七草も過ぎ、早くも二週間に成ろうとしている。
ウカウカと動画三昧でもあるまいと思うが、未だやめられないでいる。
人の生き様について、ある言葉を思い出し、古いメモ用紙を取り出した。
それは朝日新聞、「折々ことば」を写し取ったメモである。
「病牀六尺」から、コラムの著者は鷲田清一氏。
「悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」
正岡子規
俳人にとって悟りとはいっでも平気で死ぬことではなく、生をひたすらに
愛でることであった。激痛にのたうちまわるなかでも弟子達を頻繁に迎えた。
薬や麻痹剤を服用する一方で、パン、スープ、鶏卵、刺身、焼き物、飯と
三食しっかり食べ、間に牛乳や菓子パンも、死の直前まで床で画譜画帳を
楽しみ、絵筆をとり、料理や社会情勢、教育を論じた。
この言葉を目にした時に、この様に生きたい。と言う老生の念いが、
メモをとらせたのだと思う。
この記事へのコメント