死生観と殯(もがり)

 この歳になっても知らない事の多さに今日も気付かされた。
 誠に恥ずかしい限りである。謙虚に生きねばと思う。
 今朝の朝日新聞の【耕論】の「人生100年」の現実という記事の中で、宗教学者の山折哲雄氏が述べている文が目に留まった。
 内容は端折るが:
 「人生100年時代」という言葉に直感的な反発を覚えました。日本では長く生と死が分かちがたく結びついているという考えがありました。
 日本語に他の言語に訳しきれない「死生観」という言葉があるのがそのためです。
 そうした死生観を反映した葬送の仕方に「殯(もがり)」がありました。死者に腐食化など肉体的な死の兆候がでるまで埋葬せず、その期間で認知しようとする習慣です。霊と肉の分離がはっきりするまで、半死半生のような不安定な状態を保つとも言えます。
 最近では昭和天皇が【殯】(もがり)で葬送されました。
 つまり生と死は、「心臓死」や「脳死」という「点」で分かれていたわけではないのです。年老いて病気になり、体を制御できなくなる、その過程で人はすでに死を体験しつつあるという考え方。私はこれを「老病死」と呼んでいます。
 そして氏は、そろそろ日本でも「死の規制緩和」に向けての議論を始めるべきです。
 そのためには、死をもう一度定義しなおすことが第一歩だと思います。と結論を述べている。

 老生の死生観を考え直し、覚悟を問われた気がする。
 そして、インド独立の父・ガンジーの言葉が浮かんできた。
 「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」 


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